チベット学校建設推進協会からのお知らせ事項です。随時更新しております。


by yangjin2
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カテゴリ:四川大地震( 19 )

今回、震源地の映秀鎮、多数の犠牲者が出た都江堰と回って、やはり倒壊した学校の校舎再建の支援をしなければと考えていた。その中でも理県の朴头(プトウ)小学校は学生宿舎も全壊し、残った校舎もすべて取り壊して、再度新しく建て直さなければならないということで、その支援を前向きに考えていた。

昨年現地を訪問した時、お目にかかった校長先生、理県教育局の方々もとても熱心で、こと細かく現状を説明してくれ、校舎一棟でもいいからと支援を要請された。会議に同席したアバ州教育局郝士昌局長もこの学校への支援を希望していた。

そこで、私達も具体的な予算を明記した再建計画書を送ってくださるようお願いした。けれども、昨年3月のチベット地域での衝突が影響したのか、今年2月下旬から4月上旬にかけて、電話、メール共に通じなくなり、アバ州の関係者と連絡が取れなくなってしまった。

このままでは前に進まない。再度現地に行って話し合おうと、時間をやりくりして、4月中旬から5月にかけて中国を訪問した。

成都に着いてからは、電話が通じるようになり、すぐに教育局の方に面会を求めたが、5月12日の大地震発生一周年を目前に控え、その式典の準備や要人の接待で、アバ州政府、教育局共に忙しく、当初今すぐ時間を割くことが難しいと言われた。

そのうえ、道路も式典開催日までにある程度修復しなければならないという理由で、工事のための封鎖や通行規制が頻繁に行なわれ、私達自身も州都バルカンまで行くことができなかった。

そんな情況の中、5月に入り、ようやくアバ州教育局の郝局長が成都まで出てきてくれた。

中国政府の鶴の一声ではじまった“一対一支援”(汶川県は広東省、理県は湖南省、茂県は山西省が支援)が軌道に乗り始め、教育に関する復興事業は、現地の負担が25%、その他は国やパートナーの省が負担することになった。理県のすべての学校の再建費用も湖南省がすべて負担することになり、私達が支援を考えていた朴头小学校もそのなかに含まれていることがわかった。国や他の省が支援できるのであれば、それなりにりっぱな校舎ができるので、それに越したことはない。私達も素直に喜んだ。

聞くところによると、中国政府は被災したすべての学校を今年中に再建し、来年9月の新学期にはすべての児童が通えるようにと地元政府、建設関係者に発破をかけているらしい。

では、私達にもできる現地の人が本当に必要としている支援とは何なのか?

郝局長曰く、被災した人々の生活は以前にも増して厳しく、子供の教育費がかなり負担になっているとのことだった。そういった庶民の人々の支援をしてほしいと切り出して来た。

アバ州は現在「9加3」(小学校、中学校+職業学校)の教育政策を推進していて、中学校から職業学校への進学者数は四川省内で毎年3千万人。小学校、中学校、内地の職業学校への進学者は3包(衣食住)すべて国が負担し、無償らしい。
※これに関しては、ヤンジンの弟からそんなことはないと異論が出たが・・

けれども、大学生になれば、学費をはじめ生活費、教材費などたくさんの費用がかかり、想像以上に家計を圧迫するのだそうだ。

実は、地震が起こる前からでも、教育環境が限られたこの地域から大学生が出るということは大変なことだった。家族も学校もその子の教育にそれなりに心血を注ぎ、その子自身もかなり優秀でなければ大学には入れないのだ。そうやって苦労して入った大学を地震のせいで中退するようなことになれば、それはあまりにもかわいそうだし、もったいない。そう考えると、被災地復興に貢献する人材を育てる意味でも大学生を支援することは大切だと思った。

建物(学校建設)の支援は先方を信頼してやらなければならないが、奨学金支援であれば、毎年座談会を開いて、学生達と会うようにすれば、実際に奨学金が届いているかどうか確認することもでき、学生の生の声を聞けば、支援が生きていることも実感できる。また、学生の家族の負担も軽減することもできるので、庶民の側からにしても喜んでもらえると思った。奨学金のノウハウはチベットでも経験し、よくわかっているつもりだ。よくよく考えた末、被災地の大学生の奨学金支援をすることに決めた。

今現在アバ州教育局、アバ州教育基金会と契約書の内容について摺り合わせているところだ。

基本的には、今年の9月から開始、対象は地震被災地の大学2~4年生20~30名(新入生は成績がないので、2年生からとした)、支援額は年間一人につき、2000~3000元(1人民元は日本円にして約15円)。学費は各大学異なるので、生活支援として支給。
以上で、現在考えている。

ちなみに、郝局長は漢族だが、チベット人の多いミヤロ出身で、チベット仏教にも敬意を表し、尊重している。汶川県威州中学(高校)の校長時代には、自分の学校をアバ州で一番の学校にした。ご自身は海外に行ったことがないので、是非アバ州の子供を連れて日本の学校、授業の様子を視察し、国際交流もしたいと言っていた。

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写真左から郝局長、ヤンジン、アバ州教育局の方々
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by yangjin2 | 2009-07-14 19:09 | 四川大地震
映秀鎮から都江堰市に向かう。国道はあまりにも車の数が多く、一向に前に進まないので、途中から山の中をいく裏道を通る。

しばらく走ると、無数のブルーシートが目に飛び込んできた。その隙間からはいかにも古そうな瓦の屋根が崩れた状態で見え隠れしていた。

ハッとした。これはもしかしたら都江堰の二王廟(都江堰を築いた李冰、李二郎親子を祀った廟)ではないか。その予感はすぐに現実のものとなった。裏道を通ってきたため、ちょうど私達は二王廟の一番上の山門のところに着いたのだった。普段ならここから2000年以上も前に建設された水利施設、都江堰が眼下に望めるはずである。

けれども、目の前の二王廟はブルーシートに覆われて、ロープも張られ、立入禁止となっていた。中まで入れなかったので、すべては見れなかったが、修復作業はほとんどできていないようだ。

1988年に初めてこの場所を訪れたときは風光明媚で、ゆったりとした雰囲気の美しいところだっただけに、21年後このような光景を目の当たりにするとは夢にも思わなかった。

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二王廟すぐ近くの民家。瓦礫の多さに驚いた。

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二王廟の裏手にある灵岩森林観光ロープウェー。もう使うことはできないのだが、いつ取り壊すのかメドが立っていない。

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ロープウェーの入口も倒れたままだ。

都江堰市内に入ると、平穏を取り戻したかに見える人々のその後ろに、被害を受けたまま放置された建物が無数にあった。

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商業施設も半壊し、部屋の中まで見える。

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ラーメン屋だろうか。かつてはたくさんの人でにぎわったと思う。

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このマンションの住人は無事だっただろうか。

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よく見ると下のほうに重圧がかかったのか、一階の外壁だけが壊れている。

この都江堰市でも、校舎が倒壊した聚源中学校も含め、3069人の方が亡くなった。
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by yangjin2 | 2009-07-12 18:19 | 四川大地震
四川大地震はマグニチュード8もあり、死者69225人、負傷者374176人、行方不明17923人という被害が出た。このうち死亡、行方不明となった生徒の数は5335人に達した。

四川大地震の震源地、映秀鎮に着いた。面積115㎢、人口12000人だった町も地震によりほとんどの家屋1066戸が倒壊、死者も6566人出た。

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漩口(xuankou)中学校。現場で廃墟となった学校を見ると、いかに地震の破壊力がすごいか思い知らされる。

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できるだけ近くに寄ってみた。一瞬にして雷鳴のような大きな音をたて崩れ落ちる建物、断末魔の叫び声、土埃が舞い上がり、暗黒と化す空間、この現場一帯が阿鼻地獄と化したことは容易に想像できた。

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漩口中学校の後ろの建物も倒壊していた。

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漩口中学校の道を挟んだ向かいには、映秀小学校、幼稚園のプレハブの仮設校舎が建ち、運動場では子供たちが数人遊んでいた。けれども、その姿は少し寂しげだった。元気を出して、頑張って生きていくんだよ。そう願わずにはいられなかった。

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河に沿って町の奥まで歩いていくと、対岸は爆撃を受けたかのように廃墟が広がっていた。中国国旗が見えたので、そこが以前学校だったことがわかった。

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瓦礫が積もった公安局

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公安局のすぐ裏。看板が落ちて、何の建物かわからなかった。

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“仰向け”に倒れた宿舎。四角い箱のようなのがベランダだ。

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押しつぶされた車。誰も乗っていなかったことを祈りたい。

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丘の上に建っていた学校と思われる建物。ここから先は立入禁止区域となっていて、公安局のチェックポストもあり、入ることを断念した。
 
中国当局はこの地域を、地震の教訓を後世に伝える地震遺跡としてそのまま保存し、将来的に観光地として開発するらしい。現に6月3日から来年の1月31日まで全面封鎖され、耐震工事が行なわれている。いいことか悪いことかはなんともいえないが、興味本位の“観光客”が押し寄せることに抵抗がある現地の方はたくさんいると思う。

どのような支援を現地の人は本当に望んでいるのか、映秀鎮にいる間、そればかり考えていた。
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by yangjin2 | 2009-07-10 19:30 | 四川大地震
以前、ブログでもご報告させていただきましたが、
昨年3月のチベット地域での衝突が関係して、今年2月下旬から4月上旬にかけて、
アバ州の関係者との連絡が取れなくなりました。
昨年調査後、理県の朴头(プトウ)小学校の校舎再建の支援を決め、
再建計画書をずっと待っていたのですが、電話、メール共に通じなくなりました。

そのため、バイマーヤンジンの公演の仕事をやりくりして、
思い切って4月中旬から5月にかけて中国に行ってきました。

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09年4月四川大地震再調査 1 百花大橋

四川の成都に着くと、相手の携帯電話も通じるようになり、現在の状況等聞くことができるようになった。海外から携帯に電話が入ると、0000と0の数字が並んで表示されるらしく、誰からの電話か怖くてとらなかったという人もいた。(最近、中国が認めていない宗教“法輪功”が国際電話をかけてくることもあるらしいので、政府関係の人は特に敏感になっていた)

電話ではわかりづらいところがあるので、直接会って話がしたいことを申し上げた。けれども、大地震発生一周年の5月12日を目前に控え、記念式典の準備、たくさんの行事、取材が詰まっていて、アバ州政府及び教育局の関係者は大忙しで、成都に出てくることはもちろん、私達に会う時間もなかなか調整できないとのことだった。

最終的には、アバ州教育局局長が5月になったら時間を作ると約束してくれた。

今回の訪中にはもうひとつの目的があった。昨年温家宝氏が来ることになって急遽入れなくなった映秀鎮には是非行きたいと思っていた。運良くヤンジンの弟が車で成都まで出てきてくれたので、その車に乗り、自力で被災地の映秀鎮と都江堰を調査することにした。

成都から映秀鎮、汶川を通る国道213号線は、胡錦涛氏や温家宝氏が出席する5月12日被災地での記念式典までに必ず修復させよとの北京政府からの指示もあり、その突貫工事の為、4月21日から4月25日、5月2日から5月6日の期間は道路が封鎖されてしまった。

そのうえ、その他の日も偶数日(例えば、26日、28日)は上り(汶川から成都に向かう方向)、奇数日(27日、29日など)は下り(成都から汶川に向かう方向)と片側一車線の一方通行の規制があり、ものすごく渋滞して大変だったと通ってきた人からも聞いた。

しかし、このまま成都にいても仕方がないので、4月末渋滞承知で出発した。

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  ちなみに私達の車はシルバーのホンダ。この日は下り一方通行のはずだが、
  車の数が多すぎて、昨日のうちに“上り”の車が降りてこられず、
  次の日に降りてきたのだった。おかげで、大渋滞となった。
 
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                       崩壊した山の斜面

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               見るも無残な都汶高速道路の百花大橋

実は橋すべてが地震で壊れたのではなく、上部道路の部分2ヶ所、橋脚2ヶ所が崩落したのだが、他の橋脚にも亀裂、傾斜、圧迫性破損が見つかり、余震による2次災害を避けるため、昨年08年5月28日に残った橋も爆破したとのことだ。全長500m、高さ50mあまりのこの橋は04年12月に開通したばかりだった。
 
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07年にこの細い橋脚を見て、「危ないなあ、地震があったら、ひとたまりもないな」とヤンジンに言ったことがある。ただこの地域は火山もなく、地震が起こるとは夢にも思わなかった。
 
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今回実際に通った別の橋。通っている時はわからなかったが、山の上からみると、ぞっとした。高さがあるからと言われればそれまでだが、橋脚がやはり細いのではないか。

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                この百花大橋からあと2kmで映秀鎮だ

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修復工事も始まっていた。工事の方には頑張ってほしいと思うけれど、どうしても橋脚が気になってしまう。
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by yangjin2 | 2009-06-24 21:16 | 四川大地震
学校を訪問する以外に、道中その他の被災地も見て回った。

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           歴史あるチベット人居住区(甘堡藏寨)にも被害が出ていた

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                 薛城小学校のすぐ隣りは廃墟と化していた

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             山から転がり落ちてくる巨石の直撃による被害も大きい

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            この家の人々は幸運にも農作業で外に出ていて助かった

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              我々の乗った車にもレンガ大の石が落ちてきた
              フロントガラスに当たるところだったが、
              運転手がとっさにハンドルをきったので、
               サイドミラーにかする程度ですんだ
               (横に走る傷がそうだ)

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              理県人民政府、教育局の方々とも意見を交換する

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           理県では既存の建物は危ないので、プレハブ宿舎に泊まる
            この晩は蚊やダニに悩まされ、ヤンジンは体中咬まれた

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                     被害を受けたチァン族の家

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                   中にいた人達は無事だっただろうか

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      ここには成都から汶川県に通じる公道が走っていたが、
      土砂崩れによって、完全に埋まってしまった
      アバ県から成都に向かう長距離バスが1台、
      乗客と共にいまだに行方不明になっているが、
      こういった土砂の下に埋まっているのではないかと
      思われている
      バスに乗っていた人達のことを考えると
      どんなに怖かっただろうとかわいそうでならなかった
      (向こうに見える町は汶川県)

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              茂県から黒水県に向かう途中にも地震の傷跡があった
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by yangjin2 | 2009-06-13 20:15 | 四川大地震
茂県中心地から28km走ると、四方を山で囲まれた飛虹郷小学校にたどりついた。
この日は土曜日だったが、午前中は授業をしていた。チァン族の蹇(jian)志康 校長の出迎えを受ける。

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                   校長先生(右)から被害状況を聞く

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                 教室の壁には亀裂が走り、外が見える

飛虹郷は人口2,210人で、皆山の上や中腹に住んでいる。児童は周囲の六つの村から来ており、私達がお伺いしたときには1~3年生の120名が運動場に建てられた仮設教室で授業を受けていた。

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                         1年生の教室

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                         3年生の授業

6月に地質学者に調べてもらったところ、雨、風、余震によって土砂崩れ、鉄砲水など2次災害が起こる可能性があると言われたらしい。35ある教室も補修して、なんとか倉庫として14室使えるようにしたが、安全面から教室、宿舎としては使えないとのことだった。

そのため、苦渋の選択で、4~6年生の134名は山西省の2つの学校に送り出した。これらの児童は中学と小学校を卒業するまでの3年間、山西省で寄宿舎生活を送ることになった。4年生の児童はまだ幼く、先生、保護者とも心配したらしいが、「勉強ができるなら」と山西省に行くことを望む子も多かったという。

今在籍している1~3年生も通学は無理なため、学内に建てられたプレハブの宿舎で生活しているが、隙間が目立つこの宿舎では冬はかなり寒いだろうと思った。
「茂県の平均標高が2000メートル。山からの吹き降ろしの風も冷たい。暖房をどうするかが悩みの種です」と校長先生はおっしゃっていた。

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                運動場に建てられた仮設の教室と宿舎
         後方右側の建物は柱を残して壁が崩れ落ちたが、
         板を貼り付け、プレハブが建つまでの避難用家屋として使っていた

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by yangjin2 | 2009-06-05 12:15 | 四川大地震
最後に訪れたのが、茂県だ。

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                  校長先生(右)から話を聞く

茂県の人口は11万6千人、被災した生徒(幼稚園~高校)は2万2千人。
この学校も地震前は2100名いたそうだが、私達が訪れたときには1200名が在籍。
小学校だけでなく、幼稚園、中学部もあるので、鳳儀鎮“学校”と呼ばれている。
アバ州社会児童福利院(孤児院)の20名の児童もこの学校に通っているそうだ。

6年生のクラスにおじゃました。
つらい経験をしたはずなのに、生徒の皆さんは笑顔と拍手で迎えてくれた。
ヤンジンはまず自己紹介をして、テレビのニュースで四川の地震を知ったこと、自分の故郷も同じ地区のアバ県であること、少しでも皆さんの役に立ちたいと行動を始めたことを話した。

今は日本に住んでいることも述べ、試しに日本のことを知っているか聞いてみた。
すると「知ってるよ!景色とお花がきれいな国でしょ!」という返事が返ってきた。
「え、じゃあ、日本の有名なお花は?」と聞くと、先を争うかのように「桜!桜!」と
生徒が皆返事をしてくれた。すごく純粋で素直な子供たちだ。

このあとは担任の先生から今回の地震で子供たちがどのような経験をしたのか、ご説明いただいた。笑顔から一転泣き出す子も出てきた。地震で傷ついた心はそう簡単には癒えそうにない。

話を変えてみる。「留学したい人はいますか?」
その問いに手を挙げる子がたくさんいた。
「じゃあ、ちょっと聞いてね。今回の地震で、皆さんはたくさんつらいことがあったと思います。でも、もし将来留学しようと思っているなら、それに負けずに、勉強はしっかりしてください。貧困とか家柄とかは恥ずかしいことじゃない。勉強ができる環境なのに、先生がいて、学校があるのに勉強を怠けるとういことが一番恥ずかしいことです。十分な教養、知識がなければ、留学はできません。海外では留学生は民族、国の代表とみられます。あなたの考え、教養、言動を見て、自分の民族、国が判断されるわけです。
留学はあくまで例えで、あらゆる職業に関しても同じことが言えます。専門的知識がないと仕事はできません。皆さん、一生懸命勉強してください。友達同士切磋琢磨し、助け合って、共に歩んでいってください。そして、将来は故郷のために役に立つ人間になってください。故郷の復興は皆さんの肩にかかっています」

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     福利院から通っているチベット人の男の子 故郷の小金には祖母がひとりいる
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               父親を亡くした女の子 弟もこのクラスにいた
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               親を思い出し、泣き出してしまった男の子
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                 子供たちに一生懸命話をするヤンジン
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                   ヤンジンの話を聞く子供たち
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                     仲良くなった子供たちと
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               その後は茂県教育局局長(右)から話を伺った
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by yangjin2 | 2009-05-30 21:56 | 四川大地震
汶川県教育局との話し合いを終え、被害の大きかった绵虒中学校に向かう。
途中、土砂崩れの跡が残る山々、うどんが切れたように垂れ下がったガードレールが
見える。

威州中学校から車で走ること20分。中学校に着いた。

赤レンガとセメントで作られた校舎は、ヤンジン曰く、チベットの日干し煉瓦よりもろいのだそうだ。

こちらも校舎の外観は残っていたが、中はぐしゃぐしゃになっていた。

この学校は地震もそうだが、一番不幸だったのは後ろにすぐ大きな山があったことだ。
巨大な石がいくつも山肌を転がり落ちてきて、そのひとつが校庭にいた生徒12名、教師1名の計13名を直撃、即死9名、搬送された病院でその他4名が亡くなったというのだ。
この石は地元で「罪のある石」と呼ばれている。

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                 13名の尊い命を奪った「罪のある石」

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                      瓦礫が残る教室

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                  生徒がここに戻ることはもうない

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                   卓球台の傍にも大きな石

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                学校後方の公道にも巨石がころがっていた

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    中学校の目の前の山、中腹からごっそり崩落している
    この山の斜面には民家や畑があり、当時畑仕事をしていた多くの人が
    命を落とした

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by yangjin2 | 2009-05-17 17:57 | 四川大地震
理県の視察を終え、次に訪問したのが汶川県だ。
県中心部にある威州中学校の運動場には無数のプレハブが建っていて、そのうちのひとつが汶川県教育局の対策本部で、被害状況、支援への要望を聞くためにお伺いした。
この学校はヤンジンの甥っ子2人が通っていた中学校(高級中学:日本の高校にあたる)でもあり、ここの生徒2600名は今、成都郊外の龍泉驛で他の学校の校舎を教室、ホテルを宿舎として、勉強している。

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                   教育局局長(左)と話し合う

教育局長と主任に話を聞いた。
汶川県は小学生から高校生までの学生が地震前は1万6千名いたそうだが、お伺いしたときには1万3千人が県外で学校に通い、その他の学生に関しては、現地のプレハブ教室にて、授業を再開したとのことだった。

どの方面で援助を必要としているのか聞いてみたが、理県の教育局と違って、具体的にこうしてほしいという要望が出てこなかった。“一対一支援”として、汶川県は広東省、理県は湖南省、茂県は山西省が支援することになった(中国政府が指示)そうだが、汶川県教育局の方々は支援を受ける体制もできてなく、どうしてよいのかわからず、混乱しているような感じだった。

まず学校を再建するにはどのぐらい費用が必要なのか聞いてみると、最低でも1校につき1000万~2000万元は必要とのことだった。(1人民元は日本円にして現在約15円)
学校の建設計画書及び予算表はまだひとつもできていないということで、次に考えていることを聞いてみると、先生の心のケアが必要だと言ってこられた。

汶川県内には1200名の教師がおられるらしいが、ほとんど休みの日がなく、そのうちの50%が心理的ストレスを抱えているということだった。先生の中には自分の家族を亡くした人も多く、昼間は気丈に振舞っても、夜になると精神的に落ち込む人が多いらしい。事実、目の前にいる教育局長も被災者のわけで、地震直後は彼女自身も絶望的な気持ちになったと言っていた。

あと今回の地震で孤児になった児童(小学生から高校生)も県内に53名いるらしく、こちらの資料も送ってくださるようお願いした。

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                  外観だけはかろうじて残った校舎

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       崖崩れのあった威州中学校の真向かいの山 曲がったガードレールが見える

この後は被害の大きかった映秀鎮に行く予定だったが、中国首相の温家宝氏が現地を訪れるとのことで、急に道路が封鎖されてしまった。そのため、県内の绵虒中学校を視察することにした。
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by yangjin2 | 2009-05-17 17:13 | 四川大地震
まず最初にご報告が遅れていますこと、お詫び申し上げます。

昨年3月の衝突のこともあり、今年2月下旬から4月上旬にかけて、
アバ州の関係者と連絡が取れなくなりました。
昨年から支援に関する回答をずっと待っていたのですが、
電話、メール共に通じなくなりました。

そのため、地震被災地の現状、現地の考えを確認するため、
4月中旬から一昨日まで中国に行ってきました。

昨年行くことができなかった映秀鎮、都江堰も視察し、
アバ州教育局局長とも面会し、率直に話し合い、
どのような方面で支援をするのか決めてきました。
これに関しては、後日このブログでご報告させていただきます。

その前に、昨年の調査報告がまだすべて出来ていないので、
ここ数日は08年のものをまずご報告いたします。

(本当は中国滞在中に報告を更新しようと思っていたのですが、
 なんとブログを見ることができず!更新のしようがありませんでした)
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08年四川大地震被災地調査報告 8 理県薛城小学校

1913年創立し、2005年に今の場所(元薛城中学校跡地)に移転してきた。
生徒数574名、教員数43名。

2008年5月12日の地震によって、教室(教学楼)と教師宿舎が倒壊、学生宿舎と総合楼も中度の損壊、皆使えなくなってしまった。

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                崩壊した教職員宿舎の前で説明を受ける

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                      校庭に張られたテント

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               崩れ落ちた教室 階段は直接2階に通じていた

けれども、こちらも幸いなことに死者、負傷者共に出なかった。

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     学校側は薛城鎮バスステーションに仮校舎を建て、7月16日から授業を再開した。
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by yangjin2 | 2009-05-13 22:20 | 四川大地震