チベット学校建設推進協会からのお知らせ事項です。随時更新しております。


by yangjin2
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<   2009年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧

今回、震源地の映秀鎮、多数の犠牲者が出た都江堰と回って、やはり倒壊した学校の校舎再建の支援をしなければと考えていた。その中でも理県の朴头(プトウ)小学校は学生宿舎も全壊し、残った校舎もすべて取り壊して、再度新しく建て直さなければならないということで、その支援を前向きに考えていた。

昨年現地を訪問した時、お目にかかった校長先生、理県教育局の方々もとても熱心で、こと細かく現状を説明してくれ、校舎一棟でもいいからと支援を要請された。会議に同席したアバ州教育局郝士昌局長もこの学校への支援を希望していた。

そこで、私達も具体的な予算を明記した再建計画書を送ってくださるようお願いした。けれども、昨年3月のチベット地域での衝突が影響したのか、今年2月下旬から4月上旬にかけて、電話、メール共に通じなくなり、アバ州の関係者と連絡が取れなくなってしまった。

このままでは前に進まない。再度現地に行って話し合おうと、時間をやりくりして、4月中旬から5月にかけて中国を訪問した。

成都に着いてからは、電話が通じるようになり、すぐに教育局の方に面会を求めたが、5月12日の大地震発生一周年を目前に控え、その式典の準備や要人の接待で、アバ州政府、教育局共に忙しく、当初今すぐ時間を割くことが難しいと言われた。

そのうえ、道路も式典開催日までにある程度修復しなければならないという理由で、工事のための封鎖や通行規制が頻繁に行なわれ、私達自身も州都バルカンまで行くことができなかった。

そんな情況の中、5月に入り、ようやくアバ州教育局の郝局長が成都まで出てきてくれた。

中国政府の鶴の一声ではじまった“一対一支援”(汶川県は広東省、理県は湖南省、茂県は山西省が支援)が軌道に乗り始め、教育に関する復興事業は、現地の負担が25%、その他は国やパートナーの省が負担することになった。理県のすべての学校の再建費用も湖南省がすべて負担することになり、私達が支援を考えていた朴头小学校もそのなかに含まれていることがわかった。国や他の省が支援できるのであれば、それなりにりっぱな校舎ができるので、それに越したことはない。私達も素直に喜んだ。

聞くところによると、中国政府は被災したすべての学校を今年中に再建し、来年9月の新学期にはすべての児童が通えるようにと地元政府、建設関係者に発破をかけているらしい。

では、私達にもできる現地の人が本当に必要としている支援とは何なのか?

郝局長曰く、被災した人々の生活は以前にも増して厳しく、子供の教育費がかなり負担になっているとのことだった。そういった庶民の人々の支援をしてほしいと切り出して来た。

アバ州は現在「9加3」(小学校、中学校+職業学校)の教育政策を推進していて、中学校から職業学校への進学者数は四川省内で毎年3千万人。小学校、中学校、内地の職業学校への進学者は3包(衣食住)すべて国が負担し、無償らしい。
※これに関しては、ヤンジンの弟からそんなことはないと異論が出たが・・

けれども、大学生になれば、学費をはじめ生活費、教材費などたくさんの費用がかかり、想像以上に家計を圧迫するのだそうだ。

実は、地震が起こる前からでも、教育環境が限られたこの地域から大学生が出るということは大変なことだった。家族も学校もその子の教育にそれなりに心血を注ぎ、その子自身もかなり優秀でなければ大学には入れないのだ。そうやって苦労して入った大学を地震のせいで中退するようなことになれば、それはあまりにもかわいそうだし、もったいない。そう考えると、被災地復興に貢献する人材を育てる意味でも大学生を支援することは大切だと思った。

建物(学校建設)の支援は先方を信頼してやらなければならないが、奨学金支援であれば、毎年座談会を開いて、学生達と会うようにすれば、実際に奨学金が届いているかどうか確認することもでき、学生の生の声を聞けば、支援が生きていることも実感できる。また、学生の家族の負担も軽減することもできるので、庶民の側からにしても喜んでもらえると思った。奨学金のノウハウはチベットでも経験し、よくわかっているつもりだ。よくよく考えた末、被災地の大学生の奨学金支援をすることに決めた。

今現在アバ州教育局、アバ州教育基金会と契約書の内容について摺り合わせているところだ。

基本的には、今年の9月から開始、対象は地震被災地の大学2~4年生20~30名(新入生は成績がないので、2年生からとした)、支援額は年間一人につき、2000~3000元(1人民元は日本円にして約15円)。学費は各大学異なるので、生活支援として支給。
以上で、現在考えている。

ちなみに、郝局長は漢族だが、チベット人の多いミヤロ出身で、チベット仏教にも敬意を表し、尊重している。汶川県威州中学(高校)の校長時代には、自分の学校をアバ州で一番の学校にした。ご自身は海外に行ったことがないので、是非アバ州の子供を連れて日本の学校、授業の様子を視察し、国際交流もしたいと言っていた。

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写真左から郝局長、ヤンジン、アバ州教育局の方々
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by yangjin2 | 2009-07-14 19:09 | 四川大地震
映秀鎮から都江堰市に向かう。国道はあまりにも車の数が多く、一向に前に進まないので、途中から山の中をいく裏道を通る。

しばらく走ると、無数のブルーシートが目に飛び込んできた。その隙間からはいかにも古そうな瓦の屋根が崩れた状態で見え隠れしていた。

ハッとした。これはもしかしたら都江堰の二王廟(都江堰を築いた李冰、李二郎親子を祀った廟)ではないか。その予感はすぐに現実のものとなった。裏道を通ってきたため、ちょうど私達は二王廟の一番上の山門のところに着いたのだった。普段ならここから2000年以上も前に建設された水利施設、都江堰が眼下に望めるはずである。

けれども、目の前の二王廟はブルーシートに覆われて、ロープも張られ、立入禁止となっていた。中まで入れなかったので、すべては見れなかったが、修復作業はほとんどできていないようだ。

1988年に初めてこの場所を訪れたときは風光明媚で、ゆったりとした雰囲気の美しいところだっただけに、21年後このような光景を目の当たりにするとは夢にも思わなかった。

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二王廟すぐ近くの民家。瓦礫の多さに驚いた。

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二王廟の裏手にある灵岩森林観光ロープウェー。もう使うことはできないのだが、いつ取り壊すのかメドが立っていない。

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ロープウェーの入口も倒れたままだ。

都江堰市内に入ると、平穏を取り戻したかに見える人々のその後ろに、被害を受けたまま放置された建物が無数にあった。

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商業施設も半壊し、部屋の中まで見える。

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ラーメン屋だろうか。かつてはたくさんの人でにぎわったと思う。

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このマンションの住人は無事だっただろうか。

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よく見ると下のほうに重圧がかかったのか、一階の外壁だけが壊れている。

この都江堰市でも、校舎が倒壊した聚源中学校も含め、3069人の方が亡くなった。
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by yangjin2 | 2009-07-12 18:19 | 四川大地震
四川大地震はマグニチュード8もあり、死者69225人、負傷者374176人、行方不明17923人という被害が出た。このうち死亡、行方不明となった生徒の数は5335人に達した。

四川大地震の震源地、映秀鎮に着いた。面積115㎢、人口12000人だった町も地震によりほとんどの家屋1066戸が倒壊、死者も6566人出た。

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漩口(xuankou)中学校。現場で廃墟となった学校を見ると、いかに地震の破壊力がすごいか思い知らされる。

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できるだけ近くに寄ってみた。一瞬にして雷鳴のような大きな音をたて崩れ落ちる建物、断末魔の叫び声、土埃が舞い上がり、暗黒と化す空間、この現場一帯が阿鼻地獄と化したことは容易に想像できた。

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漩口中学校の後ろの建物も倒壊していた。

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漩口中学校の道を挟んだ向かいには、映秀小学校、幼稚園のプレハブの仮設校舎が建ち、運動場では子供たちが数人遊んでいた。けれども、その姿は少し寂しげだった。元気を出して、頑張って生きていくんだよ。そう願わずにはいられなかった。

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河に沿って町の奥まで歩いていくと、対岸は爆撃を受けたかのように廃墟が広がっていた。中国国旗が見えたので、そこが以前学校だったことがわかった。

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瓦礫が積もった公安局

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公安局のすぐ裏。看板が落ちて、何の建物かわからなかった。

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“仰向け”に倒れた宿舎。四角い箱のようなのがベランダだ。

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押しつぶされた車。誰も乗っていなかったことを祈りたい。

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丘の上に建っていた学校と思われる建物。ここから先は立入禁止区域となっていて、公安局のチェックポストもあり、入ることを断念した。
 
中国当局はこの地域を、地震の教訓を後世に伝える地震遺跡としてそのまま保存し、将来的に観光地として開発するらしい。現に6月3日から来年の1月31日まで全面封鎖され、耐震工事が行なわれている。いいことか悪いことかはなんともいえないが、興味本位の“観光客”が押し寄せることに抵抗がある現地の方はたくさんいると思う。

どのような支援を現地の人は本当に望んでいるのか、映秀鎮にいる間、そればかり考えていた。
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by yangjin2 | 2009-07-10 19:30 | 四川大地震