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以前、ブログでもご報告させていただきましたが、
昨年3月のチベット地域での衝突が関係して、今年2月下旬から4月上旬にかけて、
アバ州の関係者との連絡が取れなくなりました。
昨年調査後、理県の朴头(プトウ)小学校の校舎再建の支援を決め、
再建計画書をずっと待っていたのですが、電話、メール共に通じなくなりました。
そのため、バイマーヤンジンの公演の仕事をやりくりして、
思い切って4月中旬から5月にかけて中国に行ってきました。
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09年4月四川大地震再調査 1 百花大橋
四川の成都に着くと、相手の携帯電話も通じるようになり、現在の状況等聞くことができるようになった。海外から携帯に電話が入ると、0000と0の数字が並んで表示されるらしく、誰からの電話か怖くてとらなかったという人もいた。(最近、中国が認めていない宗教“法輪功”が国際電話をかけてくることもあるらしいので、政府関係の人は特に敏感になっていた)
電話ではわかりづらいところがあるので、直接会って話がしたいことを申し上げた。けれども、大地震発生一周年の5月12日を目前に控え、記念式典の準備、たくさんの行事、取材が詰まっていて、アバ州政府及び教育局の関係者は大忙しで、成都に出てくることはもちろん、私達に会う時間もなかなか調整できないとのことだった。
最終的には、アバ州教育局局長が5月になったら時間を作ると約束してくれた。
今回の訪中にはもうひとつの目的があった。昨年温家宝氏が来ることになって急遽入れなくなった映秀鎮には是非行きたいと思っていた。運良くヤンジンの弟が車で成都まで出てきてくれたので、その車に乗り、自力で被災地の映秀鎮と都江堰を調査することにした。
成都から映秀鎮、汶川を通る国道213号線は、胡錦涛氏や温家宝氏が出席する5月12日被災地での記念式典までに必ず修復させよとの北京政府からの指示もあり、その突貫工事の為、4月21日から4月25日、5月2日から5月6日の期間は道路が封鎖されてしまった。
そのうえ、その他の日も偶数日(例えば、26日、28日)は上り(汶川から成都に向かう方向)、奇数日(27日、29日など)は下り(成都から汶川に向かう方向)と片側一車線の一方通行の規制があり、ものすごく渋滞して大変だったと通ってきた人からも聞いた。
しかし、このまま成都にいても仕方がないので、4月末渋滞承知で出発した。

ちなみに私達の車はシルバーのホンダ。この日は下り一方通行のはずだが、
車の数が多すぎて、昨日のうちに“上り”の車が降りてこられず、
次の日に降りてきたのだった。おかげで、大渋滞となった。

崩壊した山の斜面

見るも無残な都汶高速道路の百花大橋
実は橋すべてが地震で壊れたのではなく、上部道路の部分2ヶ所、橋脚2ヶ所が崩落したのだが、他の橋脚にも亀裂、傾斜、圧迫性破損が見つかり、余震による2次災害を避けるため、昨年08年5月28日に残った橋も爆破したとのことだ。全長500m、高さ50mあまりのこの橋は04年12月に開通したばかりだった。

07年にこの細い橋脚を見て、「危ないなあ、地震があったら、ひとたまりもないな」とヤンジンに言ったことがある。ただこの地域は火山もなく、地震が起こるとは夢にも思わなかった。

今回実際に通った別の橋。通っている時はわからなかったが、山の上からみると、ぞっとした。高さがあるからと言われればそれまでだが、橋脚がやはり細いのではないか。

この百花大橋からあと2kmで映秀鎮だ

修復工事も始まっていた。工事の方には頑張ってほしいと思うけれど、どうしても橋脚が気になってしまう。
昨年3月のチベット地域での衝突が関係して、今年2月下旬から4月上旬にかけて、
アバ州の関係者との連絡が取れなくなりました。
昨年調査後、理県の朴头(プトウ)小学校の校舎再建の支援を決め、
再建計画書をずっと待っていたのですが、電話、メール共に通じなくなりました。
そのため、バイマーヤンジンの公演の仕事をやりくりして、
思い切って4月中旬から5月にかけて中国に行ってきました。
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09年4月四川大地震再調査 1 百花大橋
四川の成都に着くと、相手の携帯電話も通じるようになり、現在の状況等聞くことができるようになった。海外から携帯に電話が入ると、0000と0の数字が並んで表示されるらしく、誰からの電話か怖くてとらなかったという人もいた。(最近、中国が認めていない宗教“法輪功”が国際電話をかけてくることもあるらしいので、政府関係の人は特に敏感になっていた)
電話ではわかりづらいところがあるので、直接会って話がしたいことを申し上げた。けれども、大地震発生一周年の5月12日を目前に控え、記念式典の準備、たくさんの行事、取材が詰まっていて、アバ州政府及び教育局の関係者は大忙しで、成都に出てくることはもちろん、私達に会う時間もなかなか調整できないとのことだった。
最終的には、アバ州教育局局長が5月になったら時間を作ると約束してくれた。
今回の訪中にはもうひとつの目的があった。昨年温家宝氏が来ることになって急遽入れなくなった映秀鎮には是非行きたいと思っていた。運良くヤンジンの弟が車で成都まで出てきてくれたので、その車に乗り、自力で被災地の映秀鎮と都江堰を調査することにした。
成都から映秀鎮、汶川を通る国道213号線は、胡錦涛氏や温家宝氏が出席する5月12日被災地での記念式典までに必ず修復させよとの北京政府からの指示もあり、その突貫工事の為、4月21日から4月25日、5月2日から5月6日の期間は道路が封鎖されてしまった。
そのうえ、その他の日も偶数日(例えば、26日、28日)は上り(汶川から成都に向かう方向)、奇数日(27日、29日など)は下り(成都から汶川に向かう方向)と片側一車線の一方通行の規制があり、ものすごく渋滞して大変だったと通ってきた人からも聞いた。
しかし、このまま成都にいても仕方がないので、4月末渋滞承知で出発した。

ちなみに私達の車はシルバーのホンダ。この日は下り一方通行のはずだが、
車の数が多すぎて、昨日のうちに“上り”の車が降りてこられず、
次の日に降りてきたのだった。おかげで、大渋滞となった。

崩壊した山の斜面

見るも無残な都汶高速道路の百花大橋
実は橋すべてが地震で壊れたのではなく、上部道路の部分2ヶ所、橋脚2ヶ所が崩落したのだが、他の橋脚にも亀裂、傾斜、圧迫性破損が見つかり、余震による2次災害を避けるため、昨年08年5月28日に残った橋も爆破したとのことだ。全長500m、高さ50mあまりのこの橋は04年12月に開通したばかりだった。

07年にこの細い橋脚を見て、「危ないなあ、地震があったら、ひとたまりもないな」とヤンジンに言ったことがある。ただこの地域は火山もなく、地震が起こるとは夢にも思わなかった。

今回実際に通った別の橋。通っている時はわからなかったが、山の上からみると、ぞっとした。高さがあるからと言われればそれまでだが、橋脚がやはり細いのではないか。

この百花大橋からあと2kmで映秀鎮だ

修復工事も始まっていた。工事の方には頑張ってほしいと思うけれど、どうしても橋脚が気になってしまう。
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by yangjin2
| 2009-06-24 21:16
| 四川大地震
学校を訪問する以外に、道中その他の被災地も見て回った。

歴史あるチベット人居住区(甘堡藏寨)にも被害が出ていた

薛城小学校のすぐ隣りは廃墟と化していた

山から転がり落ちてくる巨石の直撃による被害も大きい

この家の人々は幸運にも農作業で外に出ていて助かった

我々の乗った車にもレンガ大の石が落ちてきた
フロントガラスに当たるところだったが、
運転手がとっさにハンドルをきったので、
サイドミラーにかする程度ですんだ
(横に走る傷がそうだ)

理県人民政府、教育局の方々とも意見を交換する

理県では既存の建物は危ないので、プレハブ宿舎に泊まる
この晩は蚊やダニに悩まされ、ヤンジンは体中咬まれた

被害を受けたチァン族の家

中にいた人達は無事だっただろうか

ここには成都から汶川県に通じる公道が走っていたが、
土砂崩れによって、完全に埋まってしまった
アバ県から成都に向かう長距離バスが1台、
乗客と共にいまだに行方不明になっているが、
こういった土砂の下に埋まっているのではないかと
思われている
バスに乗っていた人達のことを考えると
どんなに怖かっただろうとかわいそうでならなかった
(向こうに見える町は汶川県)

茂県から黒水県に向かう途中にも地震の傷跡があった





フロントガラスに当たるところだったが、
運転手がとっさにハンドルをきったので、
サイドミラーにかする程度ですんだ
(横に走る傷がそうだ)


この晩は蚊やダニに悩まされ、ヤンジンは体中咬まれた



ここには成都から汶川県に通じる公道が走っていたが、
土砂崩れによって、完全に埋まってしまった
アバ県から成都に向かう長距離バスが1台、
乗客と共にいまだに行方不明になっているが、
こういった土砂の下に埋まっているのではないかと
思われている
バスに乗っていた人達のことを考えると
どんなに怖かっただろうとかわいそうでならなかった
(向こうに見える町は汶川県)

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by yangjin2
| 2009-06-13 20:15
| 四川大地震
茂県中心地から28km走ると、四方を山で囲まれた飛虹郷小学校にたどりついた。
この日は土曜日だったが、午前中は授業をしていた。チァン族の蹇(jian)志康 校長の出迎えを受ける。

校長先生(右)から被害状況を聞く

教室の壁には亀裂が走り、外が見える
飛虹郷は人口2,210人で、皆山の上や中腹に住んでいる。児童は周囲の六つの村から来ており、私達がお伺いしたときには1~3年生の120名が運動場に建てられた仮設教室で授業を受けていた。

1年生の教室

3年生の授業
6月に地質学者に調べてもらったところ、雨、風、余震によって土砂崩れ、鉄砲水など2次災害が起こる可能性があると言われたらしい。35ある教室も補修して、なんとか倉庫として14室使えるようにしたが、安全面から教室、宿舎としては使えないとのことだった。
そのため、苦渋の選択で、4~6年生の134名は山西省の2つの学校に送り出した。これらの児童は中学と小学校を卒業するまでの3年間、山西省で寄宿舎生活を送ることになった。4年生の児童はまだ幼く、先生、保護者とも心配したらしいが、「勉強ができるなら」と山西省に行くことを望む子も多かったという。
今在籍している1~3年生も通学は無理なため、学内に建てられたプレハブの宿舎で生活しているが、隙間が目立つこの宿舎では冬はかなり寒いだろうと思った。
「茂県の平均標高が2000メートル。山からの吹き降ろしの風も冷たい。暖房をどうするかが悩みの種です」と校長先生はおっしゃっていた。

運動場に建てられた仮設の教室と宿舎
後方右側の建物は柱を残して壁が崩れ落ちたが、
板を貼り付け、プレハブが建つまでの避難用家屋として使っていた
この日は土曜日だったが、午前中は授業をしていた。チァン族の蹇(jian)志康 校長の出迎えを受ける。


飛虹郷は人口2,210人で、皆山の上や中腹に住んでいる。児童は周囲の六つの村から来ており、私達がお伺いしたときには1~3年生の120名が運動場に建てられた仮設教室で授業を受けていた。


6月に地質学者に調べてもらったところ、雨、風、余震によって土砂崩れ、鉄砲水など2次災害が起こる可能性があると言われたらしい。35ある教室も補修して、なんとか倉庫として14室使えるようにしたが、安全面から教室、宿舎としては使えないとのことだった。
そのため、苦渋の選択で、4~6年生の134名は山西省の2つの学校に送り出した。これらの児童は中学と小学校を卒業するまでの3年間、山西省で寄宿舎生活を送ることになった。4年生の児童はまだ幼く、先生、保護者とも心配したらしいが、「勉強ができるなら」と山西省に行くことを望む子も多かったという。
今在籍している1~3年生も通学は無理なため、学内に建てられたプレハブの宿舎で生活しているが、隙間が目立つこの宿舎では冬はかなり寒いだろうと思った。
「茂県の平均標高が2000メートル。山からの吹き降ろしの風も冷たい。暖房をどうするかが悩みの種です」と校長先生はおっしゃっていた。

後方右側の建物は柱を残して壁が崩れ落ちたが、
板を貼り付け、プレハブが建つまでの避難用家屋として使っていた
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by yangjin2
| 2009-06-05 12:15
| 四川大地震
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