映秀鎮から都江堰市に向かう。国道はあまりにも車の数が多く、一向に前に進まないので、途中から山の中をいく裏道を通る。
しばらく走ると、無数のブルーシートが目に飛び込んできた。その隙間からはいかにも古そうな瓦の屋根が崩れた状態で見え隠れしていた。
ハッとした。これはもしかしたら都江堰の二王廟(都江堰を築いた李冰、李二郎親子を祀った廟)ではないか。その予感はすぐに現実のものとなった。裏道を通ってきたため、ちょうど私達は二王廟の一番上の山門のところに着いたのだった。普段ならここから2000年以上も前に建設された水利施設、都江堰が眼下に望めるはずである。
けれども、目の前の二王廟はブルーシートに覆われて、ロープも張られ、立入禁止となっていた。中まで入れなかったので、すべては見れなかったが、修復作業はほとんどできていないようだ。
1988年に初めてこの場所を訪れたときは風光明媚で、ゆったりとした雰囲気の美しいところだっただけに、21年後このような光景を目の当たりにするとは夢にも思わなかった。

二王廟すぐ近くの民家。瓦礫の多さに驚いた。

二王廟の裏手にある灵岩森林観光ロープウェー。もう使うことはできないのだが、いつ取り壊すのかメドが立っていない。

ロープウェーの入口も倒れたままだ。
都江堰市内に入ると、平穏を取り戻したかに見える人々のその後ろに、被害を受けたまま放置された建物が無数にあった。

商業施設も半壊し、部屋の中まで見える。

ラーメン屋だろうか。かつてはたくさんの人でにぎわったと思う。

このマンションの住人は無事だっただろうか。

よく見ると下のほうに重圧がかかったのか、一階の外壁だけが壊れている。
この都江堰市でも、校舎が倒壊した聚源中学校も含め、3069人の方が亡くなった。
しばらく走ると、無数のブルーシートが目に飛び込んできた。その隙間からはいかにも古そうな瓦の屋根が崩れた状態で見え隠れしていた。
ハッとした。これはもしかしたら都江堰の二王廟(都江堰を築いた李冰、李二郎親子を祀った廟)ではないか。その予感はすぐに現実のものとなった。裏道を通ってきたため、ちょうど私達は二王廟の一番上の山門のところに着いたのだった。普段ならここから2000年以上も前に建設された水利施設、都江堰が眼下に望めるはずである。
けれども、目の前の二王廟はブルーシートに覆われて、ロープも張られ、立入禁止となっていた。中まで入れなかったので、すべては見れなかったが、修復作業はほとんどできていないようだ。
1988年に初めてこの場所を訪れたときは風光明媚で、ゆったりとした雰囲気の美しいところだっただけに、21年後このような光景を目の当たりにするとは夢にも思わなかった。

二王廟すぐ近くの民家。瓦礫の多さに驚いた。

二王廟の裏手にある灵岩森林観光ロープウェー。もう使うことはできないのだが、いつ取り壊すのかメドが立っていない。

ロープウェーの入口も倒れたままだ。
都江堰市内に入ると、平穏を取り戻したかに見える人々のその後ろに、被害を受けたまま放置された建物が無数にあった。

商業施設も半壊し、部屋の中まで見える。

ラーメン屋だろうか。かつてはたくさんの人でにぎわったと思う。

このマンションの住人は無事だっただろうか。

よく見ると下のほうに重圧がかかったのか、一階の外壁だけが壊れている。
この都江堰市でも、校舎が倒壊した聚源中学校も含め、3069人の方が亡くなった。
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by yangjin2
| 2009-07-12 18:19
| 四川大地震