--------------------------------------------------------------------
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
まず四川省大地震被災地調査報告が昨年から遅れていますこと、お詫び申し上げます。
調査報告には写真も載せなければと考えていましたが、今まで使っていたGooのブログではどうしても1度に1枚しか掲載できず、不便に感じていました。
そこで新しい年になったこともあり、思い切ってブログをExciteに変更することにしました。
あとこのブログに関しては、今後私齋藤が担当いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。
---------------------------------------------------------------------
バルカンを出てまず理県の被災地に向かう。目的地に近づくにつれ、山の斜面の崩落箇所が多くなり、道路には土砂や岩がいたるところに堆積していた。落石によって破壊されたガードレールの残骸も無数に目にするようになる。鉄板で頑丈なはずなのに、あたかもうどんがちぎれたかのように、その先は河に向かって垂れ下がったり、天に向かって反り上がったりしていた。落石の衝撃がすさまじいものであったことが見てすぐにわかった。
道路の要所ではヘルメットをかぶった作業員が赤い旗を振って誘導してくれた。その者がいるところは崖崩れが起きやすい箇所で、落石がないか目視し、安全を確認してから、車を通す作業をしているのだった。けれども、人によっては、ぼーっとしていて旗を振るのを忘れたり、車が通過してから旗を振ったりしていた。毎日長時間、その作業を繰り返しているのだろうから、集中力が欠けるのもしかたがないのかもしれない。
最初に訪れたのが、理県朴头小学校だ。車を降りると校長先生はじめ先生方、理県教育局の方々が出迎えてくれた。
幹線道路沿いにある学校の正門をくぐると、すぐ右手に4階建てのりっぱな校舎があった。しかし、目の前にあるはずの運動場には避難用のテントが隙間なく立ち並び、とてもそれだけの空間があったとは信じられなかった。亀裂の入ったコンクリートでできた朝礼台に登って見渡した限りでは、建物はかろうじて残っているように思えた。
けれども、教職員宿舎の後ろに回って、びっくりした。地面には無数の瓦礫がちらばっていて、そこに以前建物があったことは容易に推測できた。学生宿舎が全壊したとのことだった。生徒は皆午後の授業に出ていたため、無事だったと聞いたとき、本当によかったと思った。

太い鉄骨が見当たらない。教室建設を重視するあまり、宿舎の建設資材がおろそかになってしまったのではと思うのは考えすぎか。
この場所は地理的にも両脇に山がある峡谷のようなところに位置していて、学校のすぐそばには更に深い谷があり、その下を勢いのある河が流れている。倒壊した学生宿舎の河側の地面もごっそり抉り取られていた。朝礼台の脇にあったトイレも跡形なく流されたそうだ。河をはさんで聳え立つ向かいの山からも落石があった場合、容易にこちらまで飛んできそうで、おもわずゾクッとした。
小さな崖崩れ、鉄砲水でも危険だと思われるこの場所で、大地震が起こり、死者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。

説明をしている教育局の方の背後にも、土砂崩れの跡が見える
残った教室や教職員宿舎はすべて危険な状態なので、再利用することはできないとのことだった。4階建ての教学楼は2001年に140万元を費やしてようやく建てたのに・・と教育局の方は残念がっていたが、皆助かっただけでもよかったと思う。建物はまた再建することができるのだから。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
まず四川省大地震被災地調査報告が昨年から遅れていますこと、お詫び申し上げます。
調査報告には写真も載せなければと考えていましたが、今まで使っていたGooのブログではどうしても1度に1枚しか掲載できず、不便に感じていました。
そこで新しい年になったこともあり、思い切ってブログをExciteに変更することにしました。
あとこのブログに関しては、今後私齋藤が担当いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。
---------------------------------------------------------------------
バルカンを出てまず理県の被災地に向かう。目的地に近づくにつれ、山の斜面の崩落箇所が多くなり、道路には土砂や岩がいたるところに堆積していた。落石によって破壊されたガードレールの残骸も無数に目にするようになる。鉄板で頑丈なはずなのに、あたかもうどんがちぎれたかのように、その先は河に向かって垂れ下がったり、天に向かって反り上がったりしていた。落石の衝撃がすさまじいものであったことが見てすぐにわかった。
道路の要所ではヘルメットをかぶった作業員が赤い旗を振って誘導してくれた。その者がいるところは崖崩れが起きやすい箇所で、落石がないか目視し、安全を確認してから、車を通す作業をしているのだった。けれども、人によっては、ぼーっとしていて旗を振るのを忘れたり、車が通過してから旗を振ったりしていた。毎日長時間、その作業を繰り返しているのだろうから、集中力が欠けるのもしかたがないのかもしれない。
最初に訪れたのが、理県朴头小学校だ。車を降りると校長先生はじめ先生方、理県教育局の方々が出迎えてくれた。
幹線道路沿いにある学校の正門をくぐると、すぐ右手に4階建てのりっぱな校舎があった。しかし、目の前にあるはずの運動場には避難用のテントが隙間なく立ち並び、とてもそれだけの空間があったとは信じられなかった。亀裂の入ったコンクリートでできた朝礼台に登って見渡した限りでは、建物はかろうじて残っているように思えた。
けれども、教職員宿舎の後ろに回って、びっくりした。地面には無数の瓦礫がちらばっていて、そこに以前建物があったことは容易に推測できた。学生宿舎が全壊したとのことだった。生徒は皆午後の授業に出ていたため、無事だったと聞いたとき、本当によかったと思った。

太い鉄骨が見当たらない。教室建設を重視するあまり、宿舎の建設資材がおろそかになってしまったのではと思うのは考えすぎか。
この場所は地理的にも両脇に山がある峡谷のようなところに位置していて、学校のすぐそばには更に深い谷があり、その下を勢いのある河が流れている。倒壊した学生宿舎の河側の地面もごっそり抉り取られていた。朝礼台の脇にあったトイレも跡形なく流されたそうだ。河をはさんで聳え立つ向かいの山からも落石があった場合、容易にこちらまで飛んできそうで、おもわずゾクッとした。
小さな崖崩れ、鉄砲水でも危険だと思われるこの場所で、大地震が起こり、死者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。

説明をしている教育局の方の背後にも、土砂崩れの跡が見える
残った教室や教職員宿舎はすべて危険な状態なので、再利用することはできないとのことだった。4階建ての教学楼は2001年に140万元を費やしてようやく建てたのに・・と教育局の方は残念がっていたが、皆助かっただけでもよかったと思う。建物はまた再建することができるのだから。
#
by yangjin2
| 2009-01-12 10:55
| 四川大地震